ダラスで寒波に完敗。テキサス移住から1年を振り返る。


ダラスに引っ越して1年になる野口さんの体験談をご紹介致します。

どちらからダラスへ引っ越しされたのでしょうか?

日本の高知県からダラスへ引っ越して参りました。コロナ禍は子供がまだ小さい事もあり、妻の実家がある高知県に疎開していました。高知県には2年ほどいたのですが、その前はアメリカ西海岸に5年ほど住んでいました。

ご家族で日本からアメリカに戻ってくる事は大変でしたか?

そうですね。3歳と1歳の娘2人を抱えて、家族4人で3年ぶりの渡米はハードでしたね。長女はオレゴン州ポートランド生まれですが、次女が高知県生まれという事もあり、アメリカのパスポートを持っているか否かでSSNや保険の手続きなど、対応がここまで違うのかと驚きました。

なぜダラスに引っ越しされたのでしょうか?

もともと私のアメリカ生活はLAから始まり、LAに3年、サンフランシスコに1年、ポートランドに1年ほど住んでいました。次アメリカに戻るなら西海岸ではなく、新たな場所で生活を始めたいという事で、まだ足を踏み入れた事がなかった南部に興味を持ちました。

昔から友人にテキサスが今とても成長していて、魅力的な場所だと聞いていましたが、自分でも調べてみると経済が発展している事、生活コストが安い事、税金面で優遇されている事など魅力的な要素が多い場所だと思いましたね。

また、子供たちの事も考えると治安が良く、教育面が充実した場所である必要がありました。テキサスにはたくさん素敵な都市があると思いますが、テキサス初心者の私達にはダラスが合っているように感じたので、去年の7月に一度ダラスへ下見に来て移住を決めました。既にダラスには信頼出来る友人が住んでいた事も大きかったと思います。

実際にダラスへ移住されてみてどうですか?

ダラスがというよりも久々のアメリカに慣れるまでが大変でした。たった2年とはいえ高知県で日本の田舎生活に慣れてしまった私達からすると、久々のアメリカ生活は想像以上にハードでしたね。例えばダラスはとても暑いと聞いていたので、日本から夏服だけを持参して移住したのですが、その冬にとてつもない寒波に遭遇し、衝撃を受けました。こんなに気温差があるものかと。笑

今はアパートメントに住んでいるのですが、家族で帰宅すると部屋の物が散乱していて、床が水浸しだったんです。泥棒が入ったのだと思い、アパートメントの管理人に連絡すると、上の階の部屋で水道管が凍結して破裂して浸水したとの事で、緊急事態だった為、仕方なく許可なしで勝手に部屋に入って応急処置をさせてもらったとの事でした。私は動揺してしまい、管理人にこれからどうしたらいいのかと聞くと、「それは自分で考えて決める事でしょ?」と告げられました。その時に最初はびっくりしたのですが、よくよく考えてみるとどこか他人のせいにしている自分がいる事に気付きました。

全部自分で考えて問題を解決していかなければいけない。誰にも人生を委ねてはいけない。と改めてアメリカの独立心溢れる厳しくも魅力的な部分に気付かされた瞬間でしたね。その日は確かクリスマスだったのですが、しっかりと水浸しの部屋で家族4人お祝いしました。笑 子供たちはお部屋がプールみたいで楽しいと大喜びしていて、何でも捉え方次第だなと子供たちを見て気付かされました。笑

色々な場所に住んでみてどうでしたか?

実は日本にいた2年間で47都道府県をまわってみたのですが、小さな島国である日本という国の中でも地域ごとに異なる特性や魅力がたくさん存在するんだなと再認識する事が出来ました。

特に私が住んでいた高知県は島国日本の中で、さらに四国という島に位置していて、本土から最も離れている県です。周囲を森林に囲まれている影響で物流の面でも不利な点があるのですが、だからこそ手つかずの素晴らしい自然が残されています。東京八王子市出身の私には違う国に移住したような感覚すらありました。

今はアメリカ50州すべてを見てまわる事を目標に足を運んでいますが、合衆国というだけあって日本以上に州ごとの個性が強いような気がしますね。例えば、オレゴン州は他州と違ってTAX FREE(売上税がゼロ)なので何を買っても税金がかからないという地域特性は日本では考えられない事ですよね。ただ、色々な場所に住んでみて、私が率直に思うのはどこに住んでも自分自身が変わらないと何も変わらないという事だと思います。お恥ずかしながら、私は環境を変えれば何かが変わるのではないかと色々な場所を転々としてきたような気がしています。

もちろんそれぞれの土地で異なる魅力はあるかと思いますが、どこに住むかよりもどこであってもその土地その場所にいる方々とどう向き合っていくかが大事なのかなと感じます。逆に自分自身の向き合い方さえ変えられれば、どの場所も最高の場所になり得るのかなと思いますので、今いる環境に感謝してダラスでの生活を愛しながら全力で楽しんでいきたいと思います。でも本当にダラスは子連れ家族には住みやすい場所でとても気に入っていますよ。笑

「どこに住んでも自分自身が変わらないと何も変わらない」という考えを持つきっかけはありましたか?

何かきっかけがあったというよりは今までの人生を通して感じてきた部分でしたが、ダラスに来てより確信に変わりました。どこに住んでもその土地の良い点に目を向ける人もいれば、その土地の良くない点ばかりに目がいきがちな人がいると思うんです。

例えばポートランドは曇りばかりで鬱になるとか、ダラスは暑すぎて住めないとか良くある話だと思いますが、裏を返せばポートランドは晴れ間がさす短い夏をより充実した時間に感じる事が出来ますし、ダラスはウォーターレジャーの施設が充実していて水遊びを楽しむ事が出来ます。寒波が来た時に夏の暑さのありがたみにも気付けますし。笑

これは一例でしかありませんが、ダラスに来てみてより主体的に物事をポジティブに受け入れられるようになりました。

野口さんにとってダラスの魅力はどのようなところでしょうか?

実際に移住してみて感じた魅力は何よりもそこにいる人達が未来を信じてイキイキしているところだと思います。ダラスに来る前に想定していた点はまさにその通りでしたし、経済的な発展性、生活のしやすさ、治安や教育の充実度が未来に希望を持って前向きに生きていける土台になっている印象です。おかげさまで私達家族もダラスのポジティブなエネルギーに感化されながら、日々楽しく過ごす事が出来ています。

野口さんは普段何をしているのですか?

そういえば自己紹介が遅れてしまいましたが、CREAWというマーケティング会社を経営させて頂いています。2017年9月にロサンゼルスで創業してから6年目になりました。日本からアメリカへ進出する企業様の集客支援として、主にWeb制作、SNS、広告、PRの側面からサポートさせて頂いております。

自ら足を運んで学んできた日米各地の地域特性を踏まえて、日本の素晴らしい商品やサービスをどのように全米各地のニーズに合わせて展開していくか日々模索しておりますので、ダラスの企業様で何かご相談したい方がいれば、ぜひお気軽にお問い合わせ頂けますと幸いです。

CREAWホームページ

 

Founder & CEO
Genki Noguchi

 

1988年4月4日生まれ。東京都八王子市出身。
学生時代はブレイクダンサーとして国内外の大会で優勝を経験。
大学を休学して訪れたロンドンで人間としての無力さを痛感し、ビジネスの世界へ足を踏み入れることを決意。
大学時代に学生団体を立ち上げ、地元八王子市で地域活性化へ向けたイベント街コンを主催し、約500名の参加者を集める。卒業後はヤフー株式会社でインターネット広告の企画営業に従事。在職中にYahoo! JapanとGoogle双方の運用型広告上級者資格を取得。
3年で同社を退職し、渡米。 ロサンゼルスでカリフォルニア法人CREAW Incを創業後、事業拡大に伴い、オレゴン州ポートランド、テキサス州ダラスに拠点を広げつつ、 日本法人のCREAW JAPAN合同会社を設立。
現在は日米の架け橋となるべく、貿易・マーケティングの2事業を展開中。

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